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語彙の豊かさ(lexical richness)

研究背景

 英語教育の目標の一つとして,英語で発信される情報を理解するばかりではなく,自らの考えを英語で表現し、発信できる実践的コミュニケーション能力の育成があげられる。実践的コミュニケーション能力 を評価する一環として,英語学習者のライティング力やスピーキング力をどのように評価したらいいのかという議論が盛んになっている。

 英語学習者のライティング力やスピーキング力は多角的に評価される必要があるが、1つの観点として、学習者によって産出された語彙の豊かさ (lexical richness) の測定があげられる。学習者 の語彙の豊かさをどのように測定したらいいかについて、様々な研究がなされてきた。 語彙の豊かさを測定する指標は、学習者の産出する語彙がいかに多様で広範なものかを量的に示すことを目指して きた (e.g. Laufer and Nation, 1995; Meara and Bell, 2001)。このような研究の背景として,学習者の言語発達は語彙サイズに顕著に表れ、そのような学習者の持つ語彙の広さが,産出され る語彙に反映されるという想定がある (Meara and Bell, 2001)。しかしながら,語彙の広さの測定対象が学習者の持つ受容語彙知識であるのに対し,語彙の豊かさの測定対象は学習者の語彙使用であ るという点で,2者は異なる (Laufer, 2005)。学習者はある語彙を受容的知識として持っていたとしても,実際の発話や自由作文でその語彙を使用できるとは限らないため2者は区別される必要があ り,発達の仕方も異なると考えられる (Laufer, 2005)。語彙の豊かさを量的に表す指標は,母語習得,第二言語習得,医学臨床等の分野で,言語の発達指標として用いられてきた (Malvern and Richards, 1997)。


語彙の豊かさを測定した様々な研究

Laufer & Nation (1995) は,語彙の豊かさの測定は,主に以下の2つの研究分野で重要であると述べている。

1. ライティングの質に影響する要因の研究
2. 語彙知識と語彙使用の関係についての研究

近年第二言語習得研究において,上記2つの分野での研究は盛んに行われてきている。ライティングの質に影響する要因の研究としては,Arnaud (1984),Linnarud (1986),Reid (1986),Ferris (1994),Daller & Phelan (2007),杉浦 (2008b),水本 (2008)などがあげられる。スピーキングの質に影響する要因の研究も近年盛んになっており,Richards & Malvern (2000),Vermeer (2000),Malvern & Richards (2002) が,そのような研究課題に取り組んでいる。
これらの研究では,学習者の言語産出における語彙の豊かさや総語数,平均文長,統語論的特長などを調べ,ライティングやスピーキングの評価と最も相関の強い指標を調べたり,重回帰分析により評価を予測する回帰式を作成するなどして,ライティングやスピーキングの質に影響する要因のモデル化を行おうとするものである。

語彙知識と語彙使用の関係についての研究は,Laufer (1998),Laufer & Paribakht (1998),Vermeer (2000),石川 (2008b) などがあげられる。これらの研究では,学習者のライティングやスピーキングにおける語彙の豊かさと語彙テストの結果を比較し,両者の相関関係を調べたり,それらの相関関係が学習者の熟達度の変化に伴いどのように変化するかを調べるものである。石川 (2008b) では構造方程式モデリングを使用し,学習者の語彙知識と語彙使用についてモデル化を行
う試みがなされている。  

語彙の豊かさ指標の観点

Read (2000) は,Arnaud (1984) ,Linnarud (1986),Reid (1990),Laufer (1991) ,Engber (1995) などの先行研究をまとめ,学習者の語彙の豊かさは,主に以下の4つの観点から分析されると述べている。

  1. 語彙の多様性 (lexical variation or lexical diversity)
    これは,学習者の産出する語彙がいかに多様なものかを量的に示す指標である。テクストに占める総語数 (token) と異語数 (type) に基づき算出される。代表的な指標として,TTR (type-token ration) があげられる。発表語彙の発達した学習者は,語彙の繰り返しを避け,さまざまな言い換え表現を使用するなど,より多様な語彙を産出すると考えられる。
  2. 語彙の洗練性 (lexical sophistication)
    これは,学習者の産出する語彙がいかに低頻度語を含み,洗練されたものであるかを量的に示す指標である。典型的には,基本語のリストを作成し,基本語以外を洗練語として,洗練語がテクストに占める割合で表される。発表語彙の発達した学習者は,基本語以外の技術的・専門的用語も使用することができ,場面に応じてより適切に語彙を使用することができるため,より低頻度で洗練された語彙を産出すると考えられる。
  3. 語彙の密度 (lexical density)
    これは,学習者の産出する語彙における内容語 (名詞,動詞,形容詞,副詞など) の占める割合で表される。Ure (1971) によると,書き言葉では内容語が40%以上占めるのに対し,話し言葉では40%以下と語彙の密度が低くなっている。発表語彙の発達した学習者は,一定量のテクストでより多くの情報を伝達することができるため,語彙の密度は高くなると考えられている。
  4. 誤りの数 (number of errors)
    これは,学習者の産出する語彙における誤りを含む単語の数で表される。誤りを含む単語とは例えば,学習者の意図した単語と異なった単語や,スペリングミス,文法的な誤りを含む単語などに分類される。発表語彙の発達した学習者は,より適切に語彙を使用することができるため,誤りの数は少なくなると考えられる。

Laufer & Nation (1995) は,Read (2000) と同様に,上記4つの観点から学習者の語彙の豊かさが議論されてきたことを認めているが,語彙の密度と誤りの数については,批判的な見解を述べている。まず語彙の密度は,統語構造や結束性の影響を受け,必ずしも語彙の豊かさを測っているとは言えないと指摘している。例えば,従属節,分詞句が増加すれば機能語の割合が減少し,語彙の密度が増加するが,これらは統語的特徴を反映し,必ずしも語彙的特徴を反映しているとは言えないと述べている。また誤りの数について,誤って使用された語彙は学習者に習得されているとは言えないとし,学習者の産出する語彙が,いかに多様で広範なものかを測定することが目的であれば,明らかに誤って使用されている語彙は,分析対象から除くべきであると主張している。

語彙の豊かさ指標の妥当性

 語彙の豊かさを測定した研究では,語彙の豊かさの測定方法により結果が異なった可能性がある。妥当性の低い指標を使用すれば,そこから得られる研究結果も妥当性の低いものとなり,研究を間違った方向へ導きかねない。これまで学習者の言語産出における語彙の豊かさを測定するさまざまな指標が提案されているが,スコアがテクストの長さの影響を受ける,明らかに熟達度の異なる学習者を区別しないなど,問題点も多い。また指標の妥当性が十分に検討されないままに使用されているという実態もある。

語彙の多様性指標の代表はTTRであるが,テクストの長さの影響を受けるという大きな問題があり,この問題を解決するためのさまざまな試みがなされてきた。しかしながら,これらの試みの多くは成功しているとは言えない (Chipere, Malvern, & Richards, 2004)。テクストの長さの影響を受けにくいとされるD (Malvern & Richards,1997) が提案されているが,どのような語彙が使用されるかという点を全く考慮しない語彙の多様性指標自体の限界も指摘されている (Laufer &
Nation, 1995; Meara & Bell, 2001; Vermeer, 2000; Vermeer, 2004)。Meara & Bell (2001) は,語彙の多様性指標は学習者の作文内で完結する指標 (Intrinsic Measures of Lexical Variety) であるのに対し,外的基準に照らして学習者の語彙を評価する語彙の豊かさ指標 (Extrinsic Measures of Lexical Richness) の重要性を主張している。